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名古屋高等裁判所 平成元年(う)335号 判決 1990年7月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森山文昭、同市川博久、同松本篤周、同仲松正人、同加藤美代及び同渥美雅康が連名で作成した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官氏家弘美が作成した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、過失に関する事実誤認の主張(控訴趣意では法令適用の誤りをも主張しているかの如くであるが、これは事実誤認の主張がもたらす当然の帰結としての主張に過ぎないから、独立の控訴理由には該当しない)について

1  主張の要旨

(一)  自動車運転業務従事者である被告人の運転にかかる原判示の大型トレーラー(その構造と車長と積荷の状態、すなわち、鉄板のはみ出し状況とは原判示のとおりである。以下「被告車両」という)が昭和六二年七月八日に原判示の名古屋鉄道犬山線平田橋駅(以下「平田橋駅」という)のすぐ南側に設置されている中小田井九号踏切(以下「本件踏切」という)を西方から東方に横切ろうとした際、本件踏切東側の遮断悍(降下中)が被告車両の荷締め機に引っ掛かろうとしている状態を認めた被告人が、被告車両の車体前端を本件踏切東端より東方約八メートルの地点に置いた状態で、被告車両を停車させ、運転席から離れ、右遮断悍の取り外し等をした後、運転席に戻ろうとしている際、A(以下「A」という)の運転する犬山発常滑行き上り急行電車(以下「被害電車」という)と被告車両とが同日午前一〇時三〇分ころ衝突し、その結果原判示の一八五名の者が負傷した(負傷者の氏名と年齢と負傷の内容と負傷の程度とは原判示のとおりである)という衝突事故(以下「本件事故」という)が発生したことは原判示のとおりであるが、

(二)  被告人が以上のように被告車両を停車させ運転席から離れ右遮断悍の取り外し等をしたのは、平田橋駅の駅長であるB(以下「B」という)の「あかん、あかん」との呼び掛け(この呼び掛けは、それを聞いた者が「この呼び掛けは被告車両に対する停止要求である」と判断して然るべきような呼び掛けであった)を聞いた被告人が、被告車両のサイドミラーで確認したところ、前記遮断悍が前記荷締め機に引っ掛かろうとしている状態を認め、「右呼び掛けは被告車両に対する停止要求(前記遮断悍を前記荷締め機から取り外すための要求)である」と判断したためであり、

(三)  このことは、原審第七回公判調書中の証人松永隆元の供述部分(以下「松永証言」という)と被告人の原審公判廷における供述とにより明らかであり、原審第二回と第四回と第五回との各公判調書中の証人Bの供述部分(以下「B証言」という)の中、松永証言や被告人の原審公判廷における供述と齟齬する部分は信用できず、

(四)  したがって、被告人に「前記遮断悍を折損してでも被告車両を速やかに本件踏切外に移動させなければならない」という注意義務を負わせることができないのに、

(五)原判決は、松永証言や被告人の原審公判廷における供述を信用せず、B証言を信用し、その結果、以下(1)から(3)までの事実を認定判示し、かかる認定事実を前提として、「自動車運転業務従事者としては、被害電車の運行の安全と乗客・乗務員らの安全とを図るため、前記遮断悍を折損してでも自車を速やかに踏切外に移動すべき注意義務がある」として、被告人を業務上過失傷害及び過失往来妨害の各罪で問責した点において、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

(1) Bが、本件踏切内の被告車両に対し「はよ行け」などと呼び掛けたことはあるが、被告車両の進行を制止するような、又は、被告車両の進行の制止要求と聞き取れるような呼び掛けをしたことはないと認定判示した点

(2) Bの右(1)の呼び掛けが被告人に聞こえなかった可能性が高く、仮に被告人が右呼び掛けを聞いたとしても、その内容を聞き取ることができなかったと認定判示した点

(3) 被告人は、「Bが被告車両の停止を要求した」と信じたことはなく(したがって、被告人が被告車両を停止させたのは、被告人が「かかる要求があった」と信じたためではなく)、前記遮断悍が被告車両の荷締め機に引っ掛かろうとしている状態を認め、「前記遮断悍を右荷締め機から外さなければならない」と自発的に判断し、右判断に基づいて被告車両を停止させたと認定判示した点

2  当裁判所の判断

(一)  所論にかんがみ、記録を精査して検討してみると、原判決書及び原審で調べられた各証拠によれば、以下の事実が認められ、松永証言と被告人の捜査段階及び原審公判段階での供述との中、右認定に抵触する部分は信用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠は見当たらない。

(1) 原判決は、(争点に対する判断)第一の五の中で前記1の(五)のとおりの認定判断を示した。

(2) 被告車両が本件踏切に差し掛かった際、その西側遮断機が下りていたので、被告人は右遮断機のすぐ西側で被告車両を一旦停止し、下り電車の通過を待ち、右電車の通過後に右遮断機が上がったので、対向大型車両をやり過ごしたのち、被告車両を発進させて、徐行状態で本件踏切内に進入した。

(3) 被告車両が本件踏切内に進入した直後ころ、本件踏切に設置されている警報機が被害電車の接近を知らせる警報ブザーや警報音を吹鳴し始めたが、被告人は、運転席側の窓を一〇センチメートルばかり開けていたほかは、キャビンの窓を締め切り、エアコンとラジオを掛けながら被告車両を運転していたため、運転中のエンジン音も加わり、警報ブザーや警報音には気付かなかったけれども、右警報機の方向指示器が「右」方向の矢印を示して点灯していること(したがって、上り電車の接近)に気付いた。

(4) その後被告人は、被告車両のキャビンが東側遮断悍付近を通過するころには同遮断悍が降下を開始するのを認めたが、徐行状態で被告車両を進行させていた(なお、被告人は「被告車両の前部が右遮断悍付近を通過したころ、車外助手席左後ろの辺りでの「オーイ、オーイ」という人声を聞いた」と供述しているが、前記(3)の事実に照らすと、被告人の右供述のとおりの事実の有無は、これを確定し得ない)。

(5) 被告車両(被牽引車であるセミトレーラーとその積み荷の鉄板が未だ踏切上にまたがって残留していた)の前部が右遮断悍付近を通過したころ、被告人は、降下中の右遮断悍が右鉄板を固定している荷締め機に引っ掛かっているのを認めた。

(6) そこで被告人は、咄嗟に、「このまま進行すれば遮断悍を折ってしまうことになるから、被告車両を停止させた上、荷締め機から遮断悍を取り外してから、被告車両を発進させよう(そういう動作をしても、上り電車の本件踏切到達前に、被告車両を本件踏切から離脱させ得るだろう)」と決意し、被告車両をその場に停止させた(右決意が後記(二)の誤信によって形成されたものか否かという点と、右停車が自発的決意のみに基づきなされたものか、それとも、自発的決意と後記(二)の誤信とが原因になって行われたものであるかという点は、これを確定することができない)。

(7) 被告車両の前部が右遮断悍付近を通過したころ、Bは被告車両キャビンの左後方で、被告人に対し「こら」とか「早よ行け」とかいう趣旨のことを大声で呼び掛けた。

(二)  以上の事実関係に基づき考察すれば、本件にあっては、被告人は、被告車両の前部が右遮断悍付近を通過したころ、車外助手席左後ろの辺りでBが右(一)の(7)のように呼び掛ける声を聞いたかも知れず、またBの右呼び掛けを「オーイ、オーイ」という呼び掛けとして聞いたかも知れず、そうだとすれば被告人が「右呼び掛けは被告車両に対する停止の要求(前記遮断悍を前記荷締め機から取り外すための停止の要求)である」と誤信したかも知れないという合理的疑惑が残ることを否定し得ない。

(三)  しかし、原審で取り調べられた各証拠によれば、Bは前記(一)の(7)の呼び掛けの他には被告車両の進行を制止するような呼び掛けをしたことがないことはもとより、被告車両の進行を制止するようなその他の言動を取ったこともなかったことが明らかである(この点、松永証人は、Bが被告車両に向かって「あかん、あかん」と呼び掛けた旨供述するが、同証人が前記(一)の(7)の呼び掛けを聞いた時点における同証人とBとの位置関係から推すと、右呼び掛けが松永証人には「あかん、あかん」という呼び掛けに聞こえたものと推認される)。

(四)  以上検討したところによれば、仮に、被告車両の前部が右遮断悍付近を通過したころ車外助手席左後ろの辺りでの人声を聞いた被告人が「右人声は被告車両に対する停止要求(前記遮断悍を前記荷締め機から取り外すための停止の要求)である」と誤信したとしても(かかる誤信をしたことがないとすれば、尚更)、前述の状況下では、被告人としては、前記遮断悍を折損してでも被告車両を速やかに踏切外に離脱させなければならない(すなわち、前記(一)の(6)のような一時停止をしてはならない)という業務上の注意義務を負うといわざるを得ず、このことは、自動車運転免許証の交付やその更新の際には必ず自動車運転者に手渡される「交通の教則」に「踏切内では発進したときの低速ギアのまま一気に通過しましょう」と記載されていることからも明らかである。しかしながら、右誤信に基づく前記一時停止はとっさの判断による条件反射的行動であると考えられるから、被告人に対しかかる行動に出ないことを期待することが困難であるし、被告人に対しかかる誤信に陥らないこと、又は、かかる誤信を是正することを要求することも、前記のような切迫した状況の下では、過酷な要求と言い得るかも知れない。

(五)  しかし、原判決が本件事故についての被告人の過失行為として捉えているのは、右一時停止とか右誤信とか右誤信の是正とかではなく、「右一時停止後被告人が運転席を離れて同遮断悍を取り外すなどの行動に出て時間を費やしたこと」であることが、原判決の(罪となるべき事実)の記載に徴して明らかである。そして、原審で取り調べられた各証拠によると、被告人が「右一時停止後運転席を離れて前記遮断悍を取り外すなどの行動に出て時間を費やしたこと」と、被告人が右一時停止後数秒以内に(同遮断悍を取り外すなどの行動に出ずに)運転席に戻り被告車両を発進させたならば、被害電車の本件踏切到達の前に被告車両が本件踏切から完全に離脱し得たことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。更に本件では、右一時停止後運転席を離れたときでも、自動車運転業務従事者たる被告人としては、この一時停止後数秒以内に(同遮断悍を取り外すなどということをせずに)運転席に戻り被告車両を発進させるという行動に出ることが(その時点でも尚被告人が前記誤信に陥っていたとしても)客観的には勿論のこと、(この場合には数秒間という時間的余裕があるから)主観的にも優に可能であったと判断される。

(六)  してみると、前記(五)と同趣旨の理由により、被告人を業務上過失傷害及び過失往来妨害の各罪で問責した原判決は正当である。

二  接訴趣意中、因果関係に関する事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

1  主張の要旨

被害電車は、制動操作後三六〇メートル走行してから停止し得る程度の速さで本件踏切に接近してきたのであるが、被害電車運転士Aに対して本件踏切上の被告車両の停止を知らせる発光信号の点滅が開始してから被害電車が本件踏切北方三六〇メートルに達するまで九・三秒ないし一二・三秒の余裕があり、また、Aは、本件踏切の手前七〇〇メートルの地点において本件踏切上の障害物の存在を視認でき、どんなに遅くとも五八〇メートルの地点において本件踏切上の障害物が車両であることを視認できたのに、原判決が、「遅くとも被害電車の制動距離に相当する本件踏切北方三六〇メートルの地点に至るまで四秒あまり手前で発光信号の赤色点滅が開始した」「遅くとも被害電車が本件踏切北方五〇〇メートルの地点で被告車両を視認できた」と認定判示したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であり、更に、右事実を前提に、「A運転士側にも発光信号や被告車両の確認遅れがあり、急制動措置をとるのが遅れたという事情が存在した」と認めながら、それが「短い時間である」としたうえ、A運転士の右重大な過失を考慮することなく、被告人の行為と本件事故の発生との間の因果関係を肯定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認ないし法令適用の誤りがある。

2  当裁判所の判断

原審で取り調べられた各証拠によれば、被害電車は被告車両との衝突前にA運転士により非常ブレーキが掛けられていたことが明らかに認められるから、本件事故がA運転士の故意により発生したものでないことはいうまでもないのみならず、「仮にA運転士に所論のような過失があったとしても、それは過失の競合の問題に過ぎず、被告人の過失行為と本件事故との間の因果関係が中断される筋合いはない」とした原判決の判断も正当として是認できるところ、被告人の前記一の2の過失行為と本件事故の発生との間の相当因果関係を肯定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認や法令適用の誤りのかどは一切ない。論旨は理由がない。

三  控訴趣意中、量刑不当の主張について

1  所論は、要するに、「原判決の量刑が重過ぎて不当である」というのである。

2  所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、被告人が原判示のように車長が長く、しかも、その後部荷台から後ろに積み荷がはみ出している被告車両を運転して本件踏切を通行するに際し、軽率にも前記の行動に出て、その結果、本件踏切内で被害電車と衝突して、被害電車の運転士及び乗客に原判示の障害を負わせたという業務上過失障害罪及び過失往来妨害罪の事案であるが、職業運転手である被告人が、本件踏切進入後、警報機の矢印信号により、上り電車が本件踏切に向かって進行してくるのを認識しながら、一旦踏切内に入った以上は踏切内ではギアチェンジも停止もしてはならないという自動車運転者としての初歩的な常識ないし最低限度の遵守義務(公安委員会が定める交通教則にもその旨の記載がある。これには当然、何らかの理由により停止した場合には速やかに発進して踏切外に離脱しなければならないという義務も含まれる)に対する重大な違反をした点で被告人の過失の程度は重大であり、また本件犯行により電車運転士と乗客合計一八五名に傷害を与え、四両編成の被害電車を大破ないし脱輪させたほか、名古屋鉄道株式会社の電車運行業務に支障をもたらし、電車利用者に多大な被害を及ぼした点で犯行の結果も重大であることなどを考慮すると、被告人の刑事責任は決して軽く見ることはできない。

したがって、被告人が前記のような過失を犯したのは、被告車両の積み荷を固定している荷締め機に遮断機の遮断悍が引っ掛かった状態にあるのを発見して、「このまま進行すれば遮断悍を折ってしまう、しかしこの遮断悍を折ってはならない、荷締め機から遮断悍を取り外してから進行しても間に合うだろう」と考えたためであって、被告人がそのような思考をしたことについては、全く同情できないわけではなく、これをもって無謀の限りであるとまでは非難できないこと、被害電車運転士側にも、原判決が正当に指摘するとおり、発光信号の確認遅れ等の落ち度が認められること、本件による受傷被害者(但し、起訴にかかわる被害者)が合計一八五名と多数であったにもかかわらず、幸い軽傷者が多く、治療費はすべて損害賠償保険等で賄われ、原判決宣告時までに大部分の被害者(一八五名中一七九名)との間で示談が遂げられ、示談未了の受傷被害者ともその症状固定等をまっていずれ示談が成立する見込みであること、被告人は自己の軽率な判断や所為が大事故を引き起こし多数の人々に被害を及ぼしたことを深く反省し、勤務会社を退職して長年従事した自動車運転の仕事から離れ、実兄の経営する会社(平成二年四月以降は右会社を退職し、堺市内の別の会社)で一工員として稼働するに至ったこと、被告人には養うべき妻子があること、被告人は、昭和四八年までに業務上過失傷害罪のかどで三回の刑事罰(内二回は罰金刑で、他の一回は執行猶予付禁錮刑)に処せられたほかは、前科・処罰歴が見当たらないことなどの諸事情を被告人のために十分斟酌しても、被告人を禁錮一年一〇月(未決勾留日数中三〇日算入)に処した原判決の量刑は、その宣告の時点においては、やむを得ず、これが不当に重いとまでは言えない。論旨は理由がない。

しかし、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人はますます反省の度を深めて受傷被害者の慰謝に努めるとともに、示談未了の受傷被害者のうち太田寿美子、吉田昭子の両名とも示談を遂げたため、これらを諒とした受傷被害者の多数(合計一一〇名)は被告人のために嘆願書を作成するに至ったことが認められるので、これら原判決後に生じた事実に前記被告人のために酌むべき諸事情を併せて勘案すると、被告人に対しては今回に限りその刑の執行を猶予し、自力更生の機会を与えるのが相当であり、そのことがとりもなおさず刑政の目的にも適うと考えられるから、原判決の量刑は、現時点においては、執行猶予を付さなかった点で重過ぎるに至ったものというべく、原判決は破棄を免れない。

四  破棄自判

よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄することとし、なお同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決することとする。

原判決が確定した事実にその挙示する法令を適用(刑種の選択を含む)して得た処断刑期の範囲内で被告人を禁錮一年一〇月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中三〇日を右の刑に算入し、前記の情状があるから同法二五条一項により、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、刑訴法一八一条一項本文を適用して、原審における訴訟費用は全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本卓 裁判官 油田弘佑 裁判官 片山俊雄)

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